■陵水協力講義リーダーシップ論概要
南野輝久(大05回)
日時 10月13日(金) 10時30分〜12時
場所 第二校舎棟1F 22番教室
10月6日(金)はこちらから
横断歩道の信号が青になった。私の前で待っていた母娘連れ。娘がそっと母親の腕を取った。何気ないその仕草に何ともいえないやさしさが溢れていて私の胸を打った。これが日本の娘さんなのだ。
「愛している」と言葉に出さなければ納得しない西洋人と、何気ない仕種の中に眼りない愛の表現を示す日本人。同一民族であるが故に惻隠の情でお互いを求め合う日本人について」ここで私なりの解析をしている。
■日本人の由来
秋篠宮紀子様は第三子男子を9月6日に出産された。皇統は男子によって伝統的に承継されてきた。41年振りの男子生誕。これで日本国民は等しくほっと安堵した。連綿として続く天皇家は、謂わば日本4千万家族の本家である。
天皇家から賜った姓は五姓。源、平、藤、橘、豊臣である。云うまでもなく、源は源氏、平は平氏、藤は藤原氏、楠木氏は橘である。豊臣氏は二代で滅び、その後裔は途絶えた。
現在の日本人は一億二千八万人。その父、母の由来を辿れば、必ずこの四姓の氏族に突き当たる。その元は天皇家である。日本人が同一民族である所以である。
■国籍と種族
日本人は同一民族。大方の日本人は国籍と種族は同じであると思っている。日本は大国である。文化圏域の東西三千キロメートルの列島に一億二千八百万人の国民が住んでいる。勤勉で賢明な同一民族である。千数百年に亘る日本古来の伝統文化を、春夏秋冬四季交々の美しい自然の姿を現出するこの島に育んできた。
私は昭和30年代、始めて商用で海外に出張した時、機内でEmbarkation Card(離国カード〉を手交された。書き込み項目の中でNationalityとRaceの二項目がある。私は咄嗟に途惑った。どちらもJapanese。何故区別して書く必要があるのか。しかし、直ぐ理解できた。世界では、多種民族国家が普通なのである。国名はU.S.Aでも種族はAnglo-Saxon、Judean、Chineseなど多岐に区別される。成る程、成る程、海外に出て、始めて日本の有り難さが判るといわれていたが“これがそうか”と始めて実感した。
■ホステスの不要な国
日本は東西三千キロの国土。東は北海道から西は沖縄まで。地球の円周は約四万キロである。日本は世界の8%を占めている大国である。大阪の人が北海道の人を招待する。女房にその旨電話を入れる。女房は答える。「あら!今日は何も無いわよ。お酒はあるから、寿司でいいでしょう」同一民族、同一趣向であるから「お酒と寿司」で十分である。
ところがである。シンガポールという小さな島がある。人口構成はマラヤ人が50%、中国人が49%である。「お客様がある」と電話すると、女房は「どちらのお方」と聞く。「中国人とマラヤ人と日本人」と答える。宗教、言語習慣の全く違う異人種である。女房は慣れたものである。「あら。そう」と電話を切る。「さて」と女房はこの三人種がともどもに口に合うご馳走の段取りに取り掛かる。取り敢えず豚は駄目!そして、政治、経済、文化、スポーツなど共通に楽しめる話題を提供し、その反応を確かめる。
だから、ホステス(女主人)なのである。心得たもので、家庭では旦那は何事も一切口出ししない。客人と共に只ニコニコと見ているだけである。「寿司と酒」で済む日本では女房は奥様であって、ホステスになる必要はないのである。日本の旦那方が料亭や、クラブで接待するのもむべなるかなである。
■側隠の情、「論理と合理」より「情緒と形」
論理には出発点が必要である。「上官の命令は朕が命令と心得よ」と言う出発点から、特別攻撃隊の合理性が生まれた。
情緒は環境と個性により自然発生的に生まれるもので、自然に育まれた情緒が俳句や科歌などの形を生んだ。「武士の情け」は武士道に基づいた側隠の情であり、「弱きを助け強きを挫く」侠客道も自然発生的な男の情である。日本では「目は口ほどに物を言う」側隠の情が相互信頼の社会を構成している。「合法性・合理性」よりも「修身・道徳」の先行する社会であり、「合法性・合理性」に徹したライブドアが爪弾きされる所以でもある。
居合道も一刀必殺の剣技であるが、礼に始まり礼に終わり、「居合とは人に斬られず人斬らず己を責めて平らかの道」と側隠の情を極意とした見事なる形である。
■障子と襖の世界
日本はずっと障子と襖の世界であった。料亭で芸者を侍らせて痛飲し、大声で天下・国家を論じ、天誅、暗殺の計画を策した。「隣の人は何する人ぞ」一向に構わない。襖一つ隔てた人はお互い全く無関係なのである。「見ざる聴かざる云わざる」である。もし隣の人が心得顔でもし奉行所にでも訴えでもすれば、「隣の人の話を盗み聞きした不埒者、下らぬ奴」と世間で爪弾きされ、蔑まれる。仁、義、礼、智、信は襖と障子の世界から始まるのである。
■敵に背中を向けて子供を抱え込んで庇う。
袋小路でトラックがこちらに突っ込んでくる。絶体絶命のときに咄嵯に子供づれの親は子供をどう庇う。
西洋人は子供を背後に回し、自分はトラックに立ち向かう姿勢をとる。
日本人は先ずトラックに背を向けて子供を抱え込んで庇う。
西洋人と目本人はどう違うのか?生まれ育ってきた環境の違いである。西洋人は、例えば、ドイツ人、フランス人、イギリス人など同レベルの異民族が隣り合わせで住んでいる。従って、彼らは幼少の頃から「相手の立場に立って物を考えること」と教え込まれてきている。お互いが信頼できなくなれば、異民族だけに徹底した「生きるか死ぬか」の争いになる。不信と憎悪の容赦の無い戦いは女子供といえども地獄の渦に巻き込まれる。「殺されるのである」だから一旦戦いとなれば、立ち向かっていくしかないのである。
しかし、島国で同一民族である日本では、戦争と庶民の生活は別である。莚一つ向うで斬り合いがあっても、家族抱き合って、無抵抗の姿勢を示しておれば、戦争一過。領主が変るだけで、自分たちの生活は何ら変らないのである。「じっとしているのよ。やがて嵐は去っていくから」これが同一民族である日本人の庶民の生活の知恵である。
第二次世界大戦の敗戦時においても、この伝統的な庶民の知恵が、混乱の無い平和な時世をもたらしたのである。
■日本刀
日本刀は武器である前に鍛刀者が精魂込めた霊器であり、武士の魂である。日本刀は鍛刀、研磨の過程で刃紋、地肌、反り、など、それぞれ鍛刀者の創意と工夫が込められている。
切れ味鋭く、折れず、曲がらず、斬人の武器としてこれ以上のものはない。しかも姿は美しく、観る者を恍惚とさせる深い味わいが匂い立ち、武器以前の鑑賞用の美術品となる。日本人なるがゆえに作刀できた日本刀が古来伝承の家宝として珍重される所以である。
■俳句・和歌の世界
日本の美しい自然は、日本人に「もののあわれ」を教え、五七五の十七文字で余韻たっぷりの詩情を与えた。
「古池やかわず飛び込む水の音」に説明は要らない。日本人にはよく判るこの風情が、西洋人には分からない。彼らは「それでどうなの」と怪訝そうに聞く。彼らには静寂の中でふと耳に入る「水の音」の感興が全く通じないのである。
■武士は食わねど爪楊枝
金は人の心を醜くする汚いもの、清貧に甘んじ心豊かに余裕を持って、日々清々しく生を全うすることこそ武士である。
江戸幕府の方策により、天下の雄藩といえども僅かな過失を口実に取り潰された。(例として芸州福島藩)然るべき武士も浪人となり、路地裏の長屋に逼塞の身となった。彼らは蓄えも無くし、寺子屋を開いて子供に読み書きを教えたり、傘張りなどして、その日暮しをしていたが、両刀をたばさむ武士の誇りを忘れなかった。周囲の人々も「お武家様」として、その存在を尊んだ。
士農工商、封建体制の社会的ランクは欲の無い清貧階級が上位を占めた。やはり、これも欲得の絡まる経済状態よりも知情意を重んじる同一民族の特異な社会秩序と言えるだろう。西洋人には理解できない事象である。
■大相撲とレスリング
大相撲はレスリングやボクシングと異なり、死命を制する前に、投げ、勇み足、送り出し、押し出しなどで勝負が決まる。すなわち、レスリングやボクシングは異人種間の殺し合いを前提とした格闘技であり、相撲は同一民族の力比べの理合いを踏まえた日本古来の士道に沿った格闘技である。ちなみに、柔術、剣術は戦いの場での武術であり、「礼に始まり、礼に終わる」個人の尊厳をかけた立合いであり、ただ勝てばよいと勝負にこだわるレスリングやボクシングと同一に論ずることは出来ない。
■切腹とギロチン
切腹は平安末期以後の武士の名誉ある自殺様式。また、武士社会の切腹という自裁による刑死様式は世界に例がない。切腹は生に執着せず、武士の潔さを示す最後の様式美である。自ら腹を一文字に掻き切り、切り上げ、介錯人に斬首を依頼する。
乃木稀介は明治天皇の葬礼の日に割腹した。介錯人はおらず、自ら頚動脈を切って即死に近い乱れの無い見事な最後であったといわれている。
高松城落城の折、城将清水宗治は城兵の助命を条件に城を明け渡し、自らは堀に舟を浮かべ、ひとさしの舞を舞って悠々と割腹した。その前夜、一人の老臣が宗治を訪ねた。「殿、切腹は決して難しいものではありませんぞ」老臣は帯を解き、腹にくるくると巻いてあったさらしを解いた。真一文字に腹は見事に切られていた。宗治は涙ながらに介錯をした。
赤穂義士武林只七は、切腹の座に座った。三方に乗せられた短刀を静かにとり三方を尻に回し、「さて」と静かに腹を撫ぜた。「お願い申す」と介錯人に軽く一礼して、「えい!」と気合鋭く、腹をきりきりと一文字に割いた。介錯人は上ずった心を抑えがたく、「えい!」と刀を切り下ろした。不覚にも刀はあごの先に当たり、首は落ちなかった。只七は左手で身体を支え、ほとばしる血潮の顔を介錯人に向けて「おこころおしずかに」といった。介錯人はその一言で、はっと気を取り直し、第二刀で只七の首を落とした。凄まじい武士の心掛けである。
フランス革命の時、ルイ16世や、手に持っていた聖書を立会人に手渡し、従容として処刑の場に臨んだといわれるマリー・アントアネットが処刑された、欧州のグロテスクなギロチンという殺人機械に比べて、日本の切腹と介錯は、死んでゆく人間の人格を重んじた日本人らしい側隠の情を醸すものである。
■花は桜木人は武士
生に執着せず、恥を知り、潔くぱっと咲いて散れ
幕末、会津戦争の折、少年たちで編成された白虎隊は戦いに敗れ、疲れた身体で飯盛山に登った。眼下にお城からもうもうと白煙の立ち上がるのが見えた。
「お城は落ちた」少年たちは顔を見合わせ、抱き合って泣いた。
「お殿様も父や兄もお城を枕に討ち死にされた。母上も姉上も自決された」
紅顔の少年たちは、お互い向かい合い胸を刺し合って倒れた。「花も会津の白虎隊」である。
■村八分にされるより死んだほうがまし
和を以って貴しとなし、他人のために尽くせ
封建体制の下では、村役人、庄屋、名主などがいて村の管理体制が厳しく行き届いていた。お互いが助け合い、年貢を納め、村全体の平穏が保たれていた。村の掟を破るものは村民全体から厳しく糾弾された。村から一歩出ると無宿者として世間から相手にされなかった。
「生かさず殺さず」の幕藩体制の中で、彼らは勤勉に働き、貧窮の中でもお互い和をもって生活の世過ぎとした。
下総の国佐倉の名主佐倉惣五郎が村に課せられた重い年貢の軽減を求めて、四代将軍家綱に直訴し、その目的は達したものの、惣五郎は家財没収の上、四人の子供も含めて家族全員が磔の刑に処せられた。「村八分にされるより死んだほうがまし」すなわち「村民の要望に応えて、名主としての働きを全うし、自らの家族を死に追い込んだのである」これは、天下の美談として、惣五郎一家は全国各地に神として祀られている。
■日本人と家族主義
川で子供が溺れている。異民族で国家を構成している外国人は躊躇なく飛び込んで救うだろう。日本人の場合はどうか?一瞬背広姿のまま飛び込むのを躊躇するのではないか?自分の胸に手を当てて考えて頂きたい。
異民族と同棲している外国人の場合、他人の子を身を挺して救うということが、自分の子供が同じような危ない場面に遭遇したとき他人が守ってくれることに繋がるという相互信頼の意思表示が無意識の内に「他人の子を救う」という咄嵯の行動に現れるのではないかと考える。
日本人は同一民族で自分たちが各自の家庭をしっかりと守っていれば、他人から犯されることはない。相互の信頼関係で家族の安全を図る必要はなく、「隣の人は何する人ぞ」で一向に支障はない。従って、他人の子供が溺れているとき、理屈では助けなければと思っても、身を挺してまでも助けようとの咄嗟の判断に一瞬の疇躇が出るのではないかと考える。
これが、日本人が、今後、国際人として心しなければならないことである。日本人の足らない所は“You Attitude”の姿勢である。
■「勿体ない」「お蔭様」「有難う」の心を忘れてはならない
乃木稀介が幼名「無人」といわれていた頃、茶碗に米一粒を残した。それを見た無人の父は、「米一粒も残してはならない。これみな百姓が粒々辛苦の結晶である」と諭した。
「勿体ない」「お蔭様」、「有難う」を折に触れ口に出し、“自分が今日あるは人様のお蔭有難う”世間に対する感謝の気持ちを忘れてはならない。
■日本人は共同歩調のとりやすい民族である
良いにしろ悪いにしろ、右向けば右、左向けば左、日本人は共同歩調を取る。これは同一民族故にリーダーの指導、指示は、自分たちの利益に緊がるものであるとリーダーの言動を信じて疑わないからである。
■日本とU.S.Aの国情の差異
昨年(2005年)8月末ハリケーンに直撃された米国ニューオーリンズの「第九区」は、黒人が多く住んでいた地区で、1年経つのに信号も外灯もつかず、夜は真っ暗。市にこの地区を復興する気は無いとの見方が強いようだ。
一方、白人中心に富裕層が住む地区では家々の修復が進み、復興でも人種間と貧富の格差は広がる。黒人の多くは戻れず、街の白人化が進んでいる。
日本人はこのような現象を経験したことが無い。関西大地震の揚合も国は全力を挙げて復興に着手し、全国から数多くのボランチアが集まった。この現象を「当然のあるべき姿」と見ている日本人は今更ながら、幸せな民族であると思わずにはいられない。
■着物文化
和服で盛装した日本女性は世界一美しく、優しく、雅やかである。真白な足袋に揃いの草履、内股で楚々として歩く姿はまさしく百合の花。「命を掛けても守ってやらねばならぬ」と男心を櫟る女の姿である。
着物のデザイン、染め上げ、仕立て。着物にマッチした帯、帯締め、帯止め、髪型、櫛、簪、どれ一つとっても立派な芸術品である。そして、それを着こなす目本女性も最高の芸術品である。
日本女性は、平安の昔から、紫式部、清少納言などが仮名、平仮名を駆使して、女性ならではの繊細な情緒溢れる世界一の文芸作品をこの世に著した。そして、形の面では、着物文化を作った。
日本の四季交々の自然の美に合わせて、着物を纏った日本女性の優美な姿、そしてそのたおやかな仕舞いが、世界一の日本女性の品性を醸し出しているのである。
■少子・高齢化の時代「女の三托」について
2005年の合計特殊出生率、つまり15歳から45歳までの女性が一生の内に産む子供の数は1.25で、過去最悪。ピーク時の1947年は4.54であった。高齢者は増え続ける。このままだと2025年には現役世代2人で1人の高齢者を支えることになる。1950年は現役世代12人で1人の高齢者を支えていた。
私の推算によると、このままでは、2044年には、人口は1億人を割り、60歳以上は51.58%、20〜59歳までの生産適齢人口は41%となり、社会保障制度(年金・医療費給付)は崩壊し、かっての経済大国日本は無限の彼方に消え去っているであろう。諸君たちの60歳代のことである。
少子化の理由は、女性の高学歴化、男女平等の思想に基づく女性の社会進出にある。
自ら稼いだお金で、好みの衣装を買い、旅行を楽しみ、車に乗って自由を満喫する。「男は欲しいが恋人として」「結婚はするが30を過ぎてから」「子供は欲しいが1人で十分。子育てが面倒で、お金がかかるから」女性の未婚化、晩婚化、そして少子化。
女性は本来男を頼って生きてきた。「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのもみんな貴方のせいなのよ」全て男の甲斐性に頼っていた。そして子供を生み、育て、母となった。
子供は母に馴れ親しみ、夜なべで靴下の繕いをしている姿、セーターを編んでいる姿、朝、目を覚ましたとき、ご飯の炊けた匂い、味噌汁のくつくつと煮える音。「お母さんは、何時寝てるの」「お母さんは何時も僕の味方。何時も僕を守ってくれている」お母さんの姿は何時も脳裏から離れない。そして、戦士が戦場で倒れたとき、断末魔の喘ぎの中で、「お母さん!」と叫んで死んでいった。
母になることを忘れた女性の将来はどうなるのだろう。
若さを失った女性は、当代の男には見向きもされなくなる。年老いた身を、絶対的な母の立場で、子供に託してこそ女性の生涯は、全うされるのである。
「女の三従」とは実は「女の三托」という意味である。「幼にして親に託し、嫁しては夫に託し、老いては子に托す」
天は女性に子供を生む特権を与えた。当代の男に愛され、次世代の男を慈しみ、愛される、二代に亘る「世過ぎ」の天恵を得た。天意に背いた、嫁がず、産まず、育てずの女性の老後に保障されるものは無い。
男は一代。男は自らの立揚を知り、自らを律することを知っている。
女は二代。「二代に亘る世過ぎ」の自覚があってこそ、女性はその生涯を全うすることができる。そして、少子化を防ぎ、国の衰亡を脱却する唯一の方法となるのである。
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